第6回 橘祭
昭和52(1977)年8月31日
 軍神橘中佐の銅像が板妻駐屯地内に建立され、中佐の命日にあたる8月31日の橘祭にその除幕式が盛大に行われた。

 この日の除幕式には元防衛庁長官西村直巳氏、源田実参議院議員をはじめ地元国会議員、発起人、各種団体の代表、自衛隊協力会会員、橘中佐の親族関係、同中佐の部下だった内田軍曹の親族ら約800人が参列し、中佐の曾孫にあたる橘一樹君(11歳)と内田軍曹の曾孫、内田久美子ちゃん(11歳)の二人が拍手の中で除幕した。

 高さ3メートルの台座の上に立つ中佐の像は、静岡県賀茂郡西伊豆町出身の彫刻家、堤達男先生の力作で高さ2.1メートル。左手で軍刀を握り、右手が胸元の双眼鏡を支え、富士山に向かって立つ姿はいかにも堂々として武人らしい姿をあらわしている。

 橘中佐は長崎県千々石町出身で、日露戦争のとき旧静岡歩兵第三十四聯隊の一大隊長として、首山堡の戦闘で歴史に残る激戦を展開。明治37年8月31日に壮烈な戦死をとげた。その鬼神のごとき勇猛さが軍人の鑑であっただけでなく、その生活信条や、日々の実践が常人の及ばぬほど立派であったとも言われている。

 大正8年に橘中佐の銅像は全国から寄せられた浄財で2体作られ、一体は中佐の出身地に、もう一体は同中佐が校長をつつとめていた名古屋幼年学校に建立されていた。その後幼年学校が閉鎖されたため、昭和2年3月、駿府城跡の静岡聯隊の営門付近に移され、終戦直前の昭和19年に金属回収で取り払われたままになっていた。
 かつての旧静岡歩兵第三十四聯隊と同じ番号を受け継いでいる板妻駐屯地第34普通科連隊には、昭和39年11月に橘中佐の胸像(堤達男氏制作)が建立されていたが、材質がコンクリート製のため風化しはじめ永久保存が難しくなったため、関係者から強い銅像再建の気運が高まり、板妻駐屯地創立15周年記念行事のひとつとして計画された。
 鈴木勝巳御殿場市長、染井栄作板妻自衛隊協力会顧問ら15人による発起人が今年1月に発足、そして銅像建立の準備が着々と進められ多数の有志による協力で「第6回橘祭」のこの日の除幕式にこぎつけた。

 式典は午前10時開式、除幕についで入魂の儀などが次々に行われ来賓祝辞、製作者あいさつのあと発起人から安藏司令に財産目録が贈呈された。引き続き追悼行事に移り、瀧川鳳心先生が「橘中佐を偲ぶ」を朗詠、続いて儀杖隊の捧げ銃に合わせて全員が黙祷。このあと献花についで、軍神「橘中佐」を大合唱して中佐の遺徳をしのんだ、この日の式には、はるばる橘中佐生地の長崎県千々石町から床井町長ほか奉賛会関係者から6氏がかけつけたが、同町長かは「千々石村は橘中佐出生の西のふるさと、当地は東のふるさと、今後とも東西のふるさとが相たずさえていきたい」とあいさつを述べた。
 式終了後11時からは、映写講堂でアトラクションとして橘中佐の演劇を披露、隊員食堂での記念会食で行事の幕を閉じた。

 再建された軍神橘中佐の銅像は第34連隊の団結の象徴であり歴史であり、県民の誇りでもある。
 橘中佐の遺徳を永く後世に生かし伝えようと、この日駐屯地の全隊員は、伝統を受け継ぐ郷土部隊としての誓いを新たにした。
(広報「たちばな」昭和52年9月発行 より)
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